うっかりするということ

−人は常に100%でいられない−
2003年12月  飯野謙次
   20年ぶりに高校3年の同級生が5人、東京で集まった。懐かしい話にひとしきり花を咲かせた後、 自然、今は何を、と話題が移り、「今、失敗学会をやっていてねえ、、」と話し始めたら、 外資系保険会社に勤めるK君が自分の失敗体験談を話しくれた。 以下は、多少の脚色を加えてその時の話の再現である

   『 師走の喧騒に思わず急ぎ足になってしまう頃、忘年会で酔いつぶれ、そのまま家にも帰らず、 朝を迎えました。人気もまばらな駅のホームで朝の始発を待つはめになり、まだ酔いも体に心地よく、 分厚いコートを着ていたこともあったので、思わずホームのベンチで横になってしまったのです。
   どれくらい経ったのでしょうか、今考えても、よく思い出せないのです。 家のベッドで目覚ましがなっているな、と最初は思ったんですよ。でもそれは、僕のポケットに入っていた携帯でした。 落としそうになりながらも、やっとの思いで通話ボタンを押すと、相手の声が聞こえてきました。 それは、僕のクレジットカード会社からの緊急連絡で、なんでもクレジットカードが遺失物として届けられたというのです。 あわてて、いつも財布が入っているポケットをズボンの上から触ってみると、あるはずのふくらみがないのです。 思わず体の血がぜーんぶ眉間に集まってくるのかと思いましたよ。心臓が本当にバクバクと音を立てだしたんです。で、 クレジットカード会社の人が、カードが悪用されていないかどうか調べるので、暗証番号を言ってみて欲しいと言うのです。 番号を小声で携帯電話をとおして伝えると、しばらくしてから、悪用されてないので安心して欲しい、 新しいカードは翌日着で自宅住所に届けるとのこと。ほっと胸をなでおろしました。
   ちょうどそのとき、ホームに滑り込んで来た、もう始発ではない6時ごろの電車に乗り込み、 家に向かったのです。おしりの暖房が気持ちいい電車に揺られ、『でも、どうして携帯の番号わかったんだろうなあ、』 なんてのんきに考えているうちにだんだん脳みそが働き始めたんです。『しまった!』と思ったときはもう後のまつり。 車内の携帯電話の御使用を御遠慮している場合ではありませんでした。 カード会社の電話番号なんて覚えてるわけないでしょう。だから家に電話したんです。そしたら家内が出て
「あら、さっきカード会社の人が電話してきて、緊急事態だからあなたの携帯番号教えて欲しいって。あなたの番号、 言っておいたけど、ちゃんとかかってきたの?緊急事態ってなんだったの?」
   怒鳴りたかったけど、家内に当たっても仕方ないですもんね。ぐっとこらえて、 事情を知りたがる家内を説き伏せてカード会社の番号を教えてもらい、電話をしたんですよ。 そしたら、カード口座から限度額いっぱいの200万円を抜かれた後。 しばらくは、曇った車窓に指で書いたカード会社の電話番号から、 しずくが1つまた1つと窓を伝って落ちるのを見るばかりでした。 』
   失敗やミスはなくならないという。良く聞く言葉だが、本当にその意味を考えたうえで言われているのだろうか。 いわゆるうっかりミスである。K君の例のような「うっかり」の代償はかなり大きいが、例えば医療の現場では、 うっかりミスが人の命に関わることがある。些細なものから人命に関わるようなものまで、その影響の度合いは様々だが、 うっかりミスはなくならない。

   大きなニュースになるようなうっかりミスの場合、世間(マスコミ)からその対応を迫られることになる。 こういう場合、失敗学の法則により、責任は下へ、下へと押しやられ、医療ミスでは例えば、 看護師のうっかりミスに原因が帰着することが多い。そのとき良く聞くのが「管理を強化します」という言葉だ。 この短い文の中に「管理」と「強化」といういかめしい言葉が2つもあるので、ちょっと聞いただけだと、 いかにもすごい対策が取られるように思われがちだが、本当にそうだろうか。

   看護師の医療に関わる全動作をつぶさに監督すれば管理を強化することになろうが、 それではその看護師の存在理由がない。つまり、いなくても同じ。では、 その「管理」を行っている人が看護師に取って変わって作業をやればミスがなくなるかといえばそんなことはなく、 やはりうっかりミスは起こる。
   では、現実的な「管理の強化」とはどんなことだろうか。普通この言葉から連想されるのは、 警察的存在、すなわちミスを犯すと大変なことになるという恐怖心を人に植付け、注意を喚起する手法だ。 効果がないとは言わないが、失敗学の見地からはマイナス方向を向いた対応だといわねばならない。 失敗を起こしたとき、それを隠そうとする力が働くからである。失敗を隠すようになったら、失敗情報を共有し、 それを生かして同じ失敗を繰り返さないようにすることなど到底無理。さらには、小さな失敗を隠していると、 その失敗の原因がいつまでも取り除かれず、いずれ新聞種となるような大きな失敗が引き起こされる。 今は故人となったハインリッヒ(H.W.Heinrich)が労働災害発生確率について提唱した言葉がそのまま失敗の発生確率に当てはまる。

   ここに揚げた氷山の図では,新聞種となるような大失敗の陰には、ちょっとしたクレームが30程度、 さらには関係者がヒャッとしたような小失敗が300程度隠されていることを表している。

   管理の強化ではいけないというなら、どうすれば良いのか。失敗の原因を突き止めたら、 それが大きな失敗を引き起こす前に、何らかのしくみを作って対応しなければならない。例えば、 友達と日にちと時間を決めて会う約束を1ヶ月前にしたとしよう。やがてその日が近づき、 当日たまたま財布の整理をしていたら、その約束をしたメモが出てきた。慌ててタクシーを飛ばして10分遅れで到着。 友達には「ごめん。」と謝って済んだ。

   友達だったから良かったものの、これがもっと大切な人だったら、たまたま財布の整理をその時していなかったら、、、 いわゆるヒヤリハットである。当人は、今後こういううっかりをなくすには、約束手帳を作り、人と約束したときは必ずそこに書き込み、 一日1回その手帳を見るようにして次の日の行動を確認しなければならない。つまり、 今までに行ってなかった行動の約束事を作って守ることにする。
   この手法の基本的考え方が仕事にも当てはまる。仕事でヒヤリハットとすることがあったら、 その原因を徹底的に追求し、その原因をなくすか、なくせないものであればそれが失敗として表に出現しないよう、 何らかの工夫を施さなければならない。

   現代うっかりの代表選手は、電子メール対応忘れだろう。とにかく山のように毎日メールが来る。 それも仕事のメールから友達からのメールやはたまた迷惑メールなど、コンピュータの前にくぎ付けになるほど来る。 後で対応しようと思ってそのままにしておくと、後から来るメールに埋もれてわからなくなってしまう。 ひとそれぞれに対処の仕方が変わるようだが、代表選手は:
  1. 対応が終わるまで整理しない
  2. 未対応印をつけて整理する(未対応フォルダーに入れる)
  3. 全て印刷して対応が終わるまで机上に残す
   この他にもいいやり方があるかもしれない。いずれにしても、何らかの方法をやりだすきっかけは、 「通常の整理の仕方では対応不能」と本人が認識したときから始まる。この認識が、 他の業務でも失敗をなくすためのしくみを作るきっかけとなる。
   ちょっとした失敗が起こってしまったらまず、良くぞお出ましくださいました、 とその出来(しゅったい)を歓迎しなければならない。水面下に隠れがちなヒヤリハットの経験は見過ごし勝ちである。 大きな失敗にならなくてホッとしてしまいそのまま忘れてしまうからである。そしてうまく捕らえた失敗の要因が、 どうすれば失敗につながらないよう工夫すれば良いか、知恵を絞って考えなければならない。 仕事のやり方がどんどん変化する現代だから、うまく失敗の小波を乗り切らない大失敗の波にのみこまれてしまう。