工夫の落とし穴

−ROZOに間違えられたROMEO−
2004年4月  飯野謙次
   米国東海岸時間1995年12月20日、21時45分頃(日本時間21日11時45分頃)、 アメリカフロリダ州発、コロンビア共和国カリ市行き、アメリカン航空965便ボーイング757-223(N651AA)が、 もう一息で目的地のアルフォンソ・ボニヤ・アラゴン空港に到着するところを、進路を間違え、 空港の北東38km地点でエル・デルビオ山頂付近、海抜約2,700mの斜面に墜落。 乗務員8名、乗客151名が死亡、乗客4名が重傷を負った。この事故に遭遇した飛行機は、機体、制御系、 整備といった物理系には全く何の問題もなかった。では、その原因はヒューマンエラーだったのだろうか。 ヒューマンエラーには違いないが、単にパイロットの不注意でかたづけていいのか、この疑問について考えてみたい。

   まず、現代の飛行機が夜中や、視界の悪い曇天時にも飛べるのは自動操縦装置のおかげである。 そのしくみは、空路途中いくつもの要所に設置されたVOR (VHF OMNI−DIRECTIONAL RANGE)と呼ばれる超短波発信局による。 パイロットは離陸後、次々に自動操縦装置の目標地をVORに定め、1つ通過するたびに次のVORを設定する。 予定航路に沿ったVORを次々に設定することによって、計画どおりに飛べるわけだ。

   さて、事故に遭った965便がカリ空港に近くまで到達した時には予定より2時間遅れであった。 そのため、遅れを取り戻そうという心理がパイロット、カリ空港管制官ともに働いた。カリ空港着陸の通常飛行コースでは、 その北東約57KmのTULUA を通過後、次のVORに空港の南約14kmにある CALIを設定し、 それを通過後に180度展開して空港の南側から進入する。ところが、 カリ空港管制官が空港の約17km北にあるROZOからそのまま空港の北側から着陸することを提案、パイロットが了承した。
   ここでコックピット内2名のパイロットの内、一方が次の目標に ROZO を設定しようとして "R"を打ち込み始めたところ、コンピュータが候補地としてRで始まる VOR を12個表示したが、パイロットはよく確認しないで、 ROZO ではなく、第1候補だった ROMEO を選択した。ROMEOは首都ボゴダにあり、使用頻度の高い VOR であり、 またVOR設定のソフトウェアが使用頻度の高い順に候補を表示するしくみになっていた。ROMEOはこのとき、東約210kmの地点にあり、 目標とはかけ離れていた。このため飛行機は指示されたとおりに東に大きく旋回したが、パイロット2名はこの異変に気がつかなかった。 実はいつもと違う着陸ルートを TULUA 手前で選択したときに TULUA VOR の位置確認で混乱したことも、 魔の進路に飛行機を進めることに荷担したわけだ。
   CALI空港は、南北に約70km、東西の幅約20kmの谷間に位置しており、周りをアンデスの険しい山々に囲まれている。 すでに着陸態勢に入り、減速し、高度を落としつつあった965便はアンデスの山に向かってまっしぐらに進んだことになる。 海抜2600mまで下りたところで、地上まで約450mしかなく、対地近接警告が鳴り出してパニック状態になったコックピットでは、 減速装置の解除を忘れたまま右旋回、急上昇を試みたが、時すでに遅く、エル・デルビオ山頂をかすめた後墜落した。

   1995年といえば、Windows95が世に出、Windows Plus! にバンドルされた Internet Explorer 1.0 がリリースされた年である。当時はまだ Netscape ユーザが多かったが、 インターネットバブルに火がついた年といっても良いだろう。そのころの挙動がどうだったか忘れたが、 今はIE も"ネスケ"も『以前に訪れたことのあるホームページは、URLをタイプし始めると、最後までタイプしなくても良い』 仕組みになっている。つまり、長ったらしいURLをタイプする手間を省いてくれるのだが、これがすこぶるいい。仕組みは、 過去に訪れたページのURL(世界中で1対1対応するよう決められたページの名前)をコンピュータが覚えていて、 新たにURLを打ち始めると、その1文字目から過去ページのリストから合うものを探して候補として表示する。例えば、 過去に見たことのあるwww.creativedesignengine.com が目標のページだったら、 (wwwは省略して良く) まずcを打った時点で過去ページからcで始まるものを列挙し、次にrを打った時に cr で始まるURLがこの1つしかなかったとしたらcreativedesignengine.com を候補として表示し、 残りの eativedesignengine.com の22文字を打たなくても挙がった候補を選択すればよい。しかし、 IEは候補をアルファベット順に並べるだけなのでちょっと不便なところがある。
   僕は検索エンジンにYahooをよく使うが、アメリカで仕事をしていると、 英語版の yahoo.com を見ることが多い。ya で始まるページを訪れたことは他にはなく、いつも、ya を打っては下矢印を押して Enter を叩いて yahoo.com に行くのが癖になっていた。ところがある時日本語ページを検索する必要があり、 yahoo.co.jp を見た、そうするとアルファベット順では先に出るyahoo.co.jpが記憶されてしまい、いつもの癖が抜けず、 キーボードをよく見ないで yahoo.com に行ったつもりが yahoo.co.jp に行ってしまうばかりで困ったことがある。 何回か失敗を繰り返した後、下矢印を2回押して Enter を叩くようになった。MS Word はもう少し賢く、 仮名漢字変換ではユーザがよく使う漢字を第1候補にしてくれる。例えば、『台(ダイ)』を使う文章を書いているといつのまにか 『台』が『ダイ』の第1候補となってくれ、『dai』と打って変換すると、 リストから『台』を探さなくても真っ先に出てくれるようになる。実はこれが最近の同音異義語の誤字の増加をもたらしているのだが、 便利であることに間違いはない。

   先の入力間違いを犯したパイロットの行動を考えてみよう。おそらく彼は、MS Word と同じ 『よく使うVOR名を順に挙げる機能』のため、いつもは次の VOR入力が機械的作業になり、 最初の1文字を入れた後は第1候補を選ぶことを手が覚えてしまっていたのではないだろうか。 初めて選ぶVORだったのに身体に沁み付いた動作が間違った選択をしてしまった。仮にこのシステムに、入力推定機能がなく、 最後まで正確に VOR名を入力しないと受付けないようになっていたらどうだろうか。普段は面倒なシステムかも知れないが、 この悲惨な事故は起きなかっただろう。

   同音異義語の誤字は、音を思い浮かべるとそのまますんなり読めてしまうので起きてしまう単純ミス。 それと同じしくみのために160名の命を奪った空の惨事が起こった。予兆となる失敗に直面したとき、 その原因の上位概念にまで上がり、原因を追求していれば、制御系ソフトの設計者はこの事故を防げたかもしれない。 ちなみに裁判では、アメリカン航空の責任が75%、残25%をソフトウェアハウスとシステム設計の2社が分かち合うことになった。

【蛇足】
先日、家に携帯電話を置き忘れて仕事に出かけてしまった。 その日会うことになっていた大事な取引先に電話を忘れたことを伝えようと思ったとき、愕然とした。 電話番号がわからないのである。スピードダイヤルや電話器内アドレス帳などない時代は、だれでも電話番号を10や20は覚えていた。 それ以来、僕は緊急時を除いて、大事な電話番号は、わざわざ番号を回すようにしている。